こんばんは。うたりです。
札幌は朝晩めっきり冷え込むようになってきました。
ついでに夫も体調を崩して寝込んでおります。
みなさまも体調管理にはお気をつけくださいね。
今日は、わたしの人生のテーマでもある毒親、機能不全家族、アダルトチルドレンという縛りからの卒業について、少し書いてみようと思います。
母との確執から、少しずつ卒業し始めた気がする。
このブログでも何度か家族についての悩みを書いてきました。


実家のことを思い出せば苦しくなり、時に涙し、怒りを覚え、電話がかかってきたら逃げる。
そんな生活を送ってきたわたしですが。
なぜか、最近は「してもらったこと」「されたこと」を分けて考えられるようになり、

あのときああしてもらえて嬉しかったな…
と思うことができるようになりました。
おそらく夏からの不調と回復がきっかけとなっているような気がします。
なにかが自分の中で作りかわったような感覚。
30年近く続いた恨みの期間
実際には物心がついた頃から

コイツラは信用ならねぇ
と両親に対して思っていたので、35年近くになるかもしれません。
その期間は、それはもう恨みでいっぱいでした。
おそらく、また揺り戻しが来ると思います。だから、これからも続く可能性が十分あります。
親について考えれば満たされない思いに苦しみ、悲しくなり、苦しくなる。

なんでこんな親のもとに生まれてきてしまったんだろう。
本気でそう思うことが今でもあります。そして、

子供は親を選んで生まれてくるって言葉が死ぬほど嫌いだぜ!!!
大学を卒業できなかったのも。
年金受給ができなかったのも。
人からの愛情をまっすぐに受け取れなくなってしまったのも。
不幸になる癖がついてしまったのも。
全部が全部、親のせい。
わたしのもともとの傾向が有ったとしても、大きな影響を与えたのは、親のいびつな関わりのせい。

今もわたしが苦しんでいるのは、親のせいでもあるんだ
そう、ずっとずっと、思っていました。
与えられた愛情と、呪いの解体。
自分の求める愛情と、親の与えてくれる愛情の不一致、そして与えられた呪い。
人間はそもそも完全でもないし清廉潔白ではないと思います。
とはいえ、その中でも結構なクズに値する両親でした。
確実にわたしを傷つけ圧迫し、いびつさを与え続けてきた両親でしたが、
それでも両親なりにわたしに与えてくれたものがあったのです。
- 子供の頃、一緒に貝で工作をしてくれた。
- わたしの好きなアイスやクレープを食べに連れて行ってくれた。
- 趣味のマンガやゲームをそこまで否定せずに自由にさせてくれた。
- 一人の時間をくれた。
- 変な褒め方でも、わたしを褒めてくれた。
- 学校活動を積極的に行ってくれた。
ひとつひとつ、思い出すたびになぜか怒りで一杯になっていたはずの思い出が、
あの時に嬉しかった気持ちとともに温かく蘇るようになってきたんです。
総合点評価をしていたのは、自分だった事に気づいた。
以前、夫に対しての不満を書いた記事。

その人の中の能力や傾向を全部点数にし、
Aは+50点。
Bは-80点。
Cは+10点。
よってあなたは不合格!
人格攻撃して良し!攻撃開始!
みたいな評価の仕方です。
特に最近は、このような評価の仕方に違和感をおぼえるようになりました。

できることとできないことは、別のこと。
混ぜて考えても、全く意味がない。
わたしは片付けが壊滅的に苦手です。
片付けに偏差値があるとすれば、恐らく30台なのではなかろうか。夫は55くらいかな。「もうわたしの片付け能力を諦めて、捨て忘れを見つけても毎度イライラしないでほしいです…」とお伝えしたんですが「障害だって諦めないで努力すれば何とかなるはずなのだから甘えるのは人格的にどうか」とな。ツライ
— うたり(ドヤ顔) (@uta0kata0) October 16, 2019
わたしの片付けの苦手さ(例)捨て忘れ
・1dayコンタクトを目に入れ保存液を捨てる
・手を洗う→ケースの存在を忘れる
・化粧など身だしなみを整える
・洗面所を後にする
2工程めで捨てるものの存在すら忘れる。
書類の分別やら整理整頓も同様「今を生きてる!」のでもう目の前のあなたしか見えない。— うたり(ドヤ顔) (@uta0kata0) October 16, 2019
でもお絵かきやウクレレで楽しく生きることや、料理など、できることもあります。
それになにより。

能力評価が悪い=人格を否定していい理由にはならない!!
これはもう、声を大にして言いたい。
むしろ、人格的にここはどうなの?っていうところがある人ですら、その他の部分ではもちろんいいところがあるので、どんなに悪いところがあろうが、

その人の存在自体を否定していいわけではない。
心からそう思います。
それだというのに、きっとわたしは親に対して総合点評価をしてしまっていたんですよね。
総合点評価が必要だった時間だった。
そうなんです。
わたしは今、総合点評価を否定しましたが、

自分が傷つけられたことを認識して、悲しかったことを十分に味わう時間が人間には必要だと思うの。
なんです。
しっかりと傷を見つめて、手当しないと。
カウンセラーさん曰く、
一枚一枚確認しながら丁寧に畳んで、
またしまいなおす作業ができるといいですね」
本当に、なるほどな。と思いました。
不意に詰め込み過ぎな荷物が決壊して溢れてしまうフラッシュバック。
畳んでしまい直したら、少しずつそれも減ってきました。
辛かったことも、ぜんぶ身になっている。
こうして穏やかに考えられるようになったのも、いろいろなことが有ったからだと思います。
つらい思いは全部がプラスになるわけではないですし、

いらない苦労はしないほうが良い!!
という主義ですが、これまでのわたしの経験は、ぜんぶわたしの身になっています。

それって贅肉……
というツッコミは置いといて。
今は、無駄だったなということは、何一つありません。
やっぱり、ここにたどり着けてよかった。
そして、

心から、わたしと関わってくれた人たちに
感謝しています。
お返しできる人にはお返しできるように。
残念ながらそうではない人には感謝の気持を。
そして、他の人に、その感謝を伝えていきたいです。

呪いが連鎖するなら、祝いも連鎖するはずよね!
伝わるか伝わらないか、受け取られるか受け取られないかは、ともかく。
受け取り手の自由に任せながら、プラスの気持ちを伝えていけたらいいですね。
それでは、今日はこの辺で。
毒親、機能不全家族、アダルトチルドレンから足抜けし始めたうたりでした。
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