こんにちは、うたりです。
寝不足のままバイトへ行ってきたら、思いの外体は動くし、元気をもらって帰ってくることができました。
元気なのはいいんですが、目下の困りごとは、数日間爪切りが見つからないってことです。
どこ行った。そして伸び続ける爪。
今日は自分やひとの抱える「いびつさ」について考えていたことを書こうと思います。
誰でもいびつさを抱えているということ。
これまで40年ちょっと生きてきました。
人生もあと半分かぁ、素敵ね。
で、その40年ちょっとの間で、しかも狭い自分の世界の中で出会ってきた人たちを見ていると、完ぺきな人なんて誰ひとりいないなと感じています。
- 怒りっぽい
- 傷つきやすい
- 忘れっぽい
- 鈍感
まぁ、挙げ始めたら自分や人の欠点なんて、エンドレスですよね。
わたしはそんな人たちに囲まれて、生きてきています。
完ぺきな人、都合のいい人だけが必要なのか。
そんな世界、まっさきにわたしからはじき出されますな。
そして、わたしも「完ぺき」であったり、自分にとって「都合がいい」人だけと関係してきたかというと、そんな事はありません。
自分を含めてみんなが弱さを持っていたり、人を困らせてしまう。
でも、

わたしは自分を癒すだけの人間を求めているのか。
というと、そんな人を友達にほしいと思ったことはないんです。
そんなことをしてもらうならば、お金を払ってプロにフォローしてほしい。
ただ、本当につらいとき、夫や友人に寄り添ってほしい時はあるんですけれどね。
魅力的にうつるのは
わたしが人を

好きだなぁ
と思うのは、もちろんそのひとのいいところだったりもするんですけれど、
もろさや不器用さ、弱さ、そういうところをひっくるめて好きになります。
だから、

いつも元気でなきゃだめ
とか

弱さを見せちゃだめ
とかは考えたことがほとんどないんです。
でも自分のコンディションによっては

ちょっと今無理だわ
ってときもあるので、そんなときは「ごめん今無理!」ってお断りすることもあります。
でも、そのいびつさ自体、そのひと自体を拒否しているのではない。
「今は」「自分が」受け入れられる状態ではない。
それを丁寧に伝えた上で、距離をとること。
そこはだいじにしていきたいなと。
わたしには、言葉がすべて。
残念なことに、わたしはおそらく発達障害の特性からか、一般的な「雰囲気を読む」「言葉裏を読む」能力が著しく欠如しています。
だから、言葉をとても大事にしている。
特に、家族や友人とは。
だって

言われなきゃわかんない!!!!
んですもの。
だから、同じように相手にも伝えるようにしています。
しかしそこで食い違いが出ることがある。

それは攻撃に聞こえる。
かつて言われました。
疑問に思って聞いただけの問いが、問い詰めたり、叱責されたりしているように感じることがあるようです。
喋り方って難しいですね。
より良い関係を気づいていくための、今後の大きな課題のひとつです。
わたしはだから、人の弱さもずるさも、そういったいびつさを愛している
最初に注意書きです。

改善したい人を引き止めているわけではありません!!
でも、わたしが好きで付き合いを続けさせていただいている人たちみんな、そのままで好きです。
もちろん努力していい方向へ変わったっていい。
疲れ果てて休んで立ち止まっていたっていい。
わたしの目から見ると、その人丸ごとが輝いて見える。(オーラとかではない)
ただただ、楽しく生き生きと生きてくれたら嬉しい。
落ち込んで休んでいたっていい。
波があっても、いつか回復して、きっとまた幸せを感じられるようになると願っています。
とはいえ。
わたしも聖人君子ではないので、自分の尊厳を傷つけてくる人からは離れざるを得ません。
わたしを尊重しない人は、許せません。
そんな時は、離れる。
それもまた、時には必要な距離です。
離れたとしても、相手の存在を否定するでなく、本当にそのまま、自分に自信を持てる環境で生きてくれたらいいなと。
伝わるかは分からないけれど、わたしにとってのその人のトゲを、言葉を尽くしてちゃんとおはなししてから。
でも、不意に攻撃されたら正面からやり返しにいきますけれどね。

わたし、戦闘民族(と書いてサイヤ人)なんで。
どうでもいい人には関わらないようにしますけれど、大事だからこそ、伝えたいし伝えてほしいと、わたしは考えています。
いびつなものほど、うつくしい。
真円もまたきれいですが。
そのゆがみやよわさ、もろさ、不器用さ、そこもまた魅力なのです。
宝石のメノウやオパールも、色んな不純物が混ざり重なり、美しい。
均一なことだけに、価値があるわけではないと思います。
そして、
わたしは、家族や友人が自分自身を否定する姿を見ることが、とても苦しい。
否定から始まる成長もまたあるとは思います。
でも「自分自身をまるごと否定」して苦しむ必要はない。
一部だけを見つめて、考えていけたらいいな。
また、夫に直してほしいことを伝えることもあります。
すぐにとは言わないから、そこが私を苦しめていること、そして少しお互いが歩み寄れる方法を一緒に考えてほしいと。
でも、わたしはとりあえず、大事な人に対しては

生きろ、そなたは美しい。
派です。
「自分には生きている価値があるのか」というツイートを拝読するたびに「残念ながら生まれてしまったんだよな」「価値ではなくて、生き抜かなきゃならないんだよな」と、勝手に心のなかで戦友扱いしている。とにかくジャイアントコーンは美味しいです。
— うたり(ドヤ顔) (@utari_starry) August 15, 2019

戦友よ、共に生きよう。
美味しいもの、楽しいもの、素敵なものに囲まれながら。
それではこのへんで。
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