こんにちは。うたりです。
台風の影響で、札幌は夜からちょっと天気が荒れるそうですが、今のところは曇りです。蒸し暑い。
先日の『超実写版ライオン・キング』のレビューから、映画レビューを少しずつ上げていこうと思っていて、封切りとともに観に行った『トイ・ストーリー4』のサイトで、
2019/08/18(つまり明日)まで感想キャンペーンを行っているみたいだったので、ちょうどいいから書いてみようかな!
ということで、前回同様【超ネタバレ版】のただの感想ダダ漏れなので、ご覧になった方、もしくは観に行かないけれどどんな感想なのか知りたい方向けです。
よろしくおねがいします!
『トイ・ストーリー4』予告編と公式サイトはこちら!
公式サイト:https://www.disney.co.jp/movie/toy4.html
それと、先程の「感想キャンペーン」はこちら!
【#いつまでも君はともだちキャンペーン】
https://www.disney.co.jp/movie/toy4/comment-cp.html
あらすじはちょっと手抜きします
ボニーのもとで暮らしていたウッディやバズたち。
ウッディはボニーから少し飽きられて忘れられることが多くなり、寂しい日々を送っていました。
そこへ、ある日コンビニなどでももらえるようなプラスプーンとちょっとしたものからボニーに作られたフォーキーが仲間入りします。
しかし彼は自分を頑なに「ゴミ」だと言い張り、すぐにゴミ箱へ飛び込もうとします。
ウッディは自らフォーキーの世話係になり、面倒を見始めます。
休みの日。
家族で旅行へ出かけるにあたり、ウッディたちおもちゃもボニーに連れられてキャンピングカーに乗せられます。
その途中、なんとフォーキーは車から落ちてしまいました。
すぐに後を追い車から飛び降りるウッディ。
そこから、フォーキーとウッディーの、ボニーのもとへ戻る旅が始まるのですが。
これはもう、劇場で観ていただきたい名作でした!
わたし齢41、ひとりでIMAX(2D)シアターで鑑賞してきました。

いやー、良かったわ。
この一言に尽きます。
おもちゃとして生まれて子供に必要とされてきたウッディ、今は飽きられ気味で寂しい思いをしています。
逆にゴミとして生まれて捨てられることこそ運命と思い込むフォーキー、でも彼はとてもボニーに愛されていました。
もうこの設定がわかった時点で泣いていたんですが(涙もろい)、おもちゃだけでなく、
人間の根底にある「愛されたい」という気持ちを激しく揺さぶる作品でした。
あらすじは冒頭部分のみの手抜きですが、このあとウッディのかつての恋人のボーと再会したり、古物商に迷い込みそこでギャビー・ギャビーという恐ろしいアンティーク人形に襲われたりと、大冒険が繰り広げられます。
わたしの特にお気に入りはこちら。
デューク・カブーンです。
デューク・カブーン
カナダ出身のバイクスタントマンのおもちゃ。CMのように高く遠くへ飛べないため、持ち主の子供に飽きられてしまったことがトラウマとなり、自分に自信が持てない。
彼は自分がCMのように飛べなかった(ちょっとバズを思い出すよね!)ことにより子供に捨てられたトラウマから、格好つけはするものの、非常に臆病になっていました。
でも、物語の佳境で、彼がいなければ成功しない作戦を見事乗り切ることができました。

失敗してもやり直せるんだ。
そんなメッセージも、受け取れたんですよね。
愛に飢えていたからこそ、怪物になってしまったギャビー・ギャビー
今回の最強の敵、ギャビー・ギャビーは、女の子のおしゃべり人形です。
物語が進むにつれ明らかになるのですが、彼女は初期不良でおしゃべり機能が故障していました。
「愛されるために生まれたのに、愛されることを知らない」
大きな虚無を抱えていたからこそ、他のおもちゃたちを恐怖で支配するようになってしまったのです。
そういえば、ウッディもおしゃべり人形ですね。
最後のトイ・ストーリーは、それにふさわしく、それぞれの卒業の物語。
ギャビー・ギャビーはおしゃべり機能を初めて得ました。
そして、迷子の女の子を元気づけるため、その子のもとへ。
フォーキーは、ボニーの愛に気づき、自らを「ゴミ」ということを卒業し、ボニーのもとへ。
他のほとんどのおもちゃたちも、ボニーのもとへ帰っていきました。
しかし、再会したボーとその他数体のおもちゃたちは、旅立ちを決意。
最後、ボニーのもとへ帰るバズが、ウッディへ叫んだ言葉が忘れられません。
ここ、泣けましたよね!
この「彼女」とは。
ウッディは彼女からの愛(もともと薄れていたもの)への執着を手放して、自らの世界に飛び込んでいきましたね。
これまでずっと「おもちゃ」としての立場で子どもたちの笑顔を守り続けてきたウッディがとった選択に、賛否両論あるようです。
でもわたしは、あの選択も尊いものだと心から感じました。
手放すことは、愛することをやめることではない。
相手の幸せを願いつつ、自らの人生を歩むこと。
わたしもきっと、息子の巣立ちのときにはまた泣くんだろうなぁ。
というか、色々な思いから、今も泣きながら書いてます(泣き過ぎ)。
でも。
ボニーのプレ幼稚園に黙ってついていってしまったウッディのように、いつまでも過保護ではいられない。

手放すことも、愛だ。

もしまだ観ていなくて
行ってみようかな?と思っている方がいたら
ぜひ観に行ってみてください!
きっと最高のエンターテインメントを楽しめると思います。
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