こんにちは、うたりです。
以前の記事を確認していたら、

自分って1年前と同じこと考えてるなぁ
と改めて感じた記事が出てきたので、再掲したいと思います。
※この記事は、1年ほど前の記事のリライト記事になっています。
「人に迷惑をかけるな」「人に頼るな」「自分でなんとかしろ」
これは現代日本の風潮なのかな、「人に迷惑をかけるな」「人に頼るな」「自分でなんとかしろ」と言った言葉がよく目に付く。
少し前、高度成長期以前の日本では隣近所みんなで協力しあって生きていたイメージがある。映画などの影響か。
核家族化が進んでムラ社会が解体されて、隣に住む人の顔も知らないような時代になり、個々に何もかも(いいことも悪いことも)を抱え込むようになった印象だ。
そして受験戦争。周りはみんな敵、ライバル。弱みを見せた方から脱落していく。
わたしは今41歳なのだが、少なくともわたしは「人に迷惑をかけるな」と育てられた。そして道徳の時間には「困った人は助けましょう」。
困ったわたしは人に助けを求められず、困った他人に手を貸す。周囲もそんな感じだったように思う。
わたし、苦しかったんじゃない?
そう、今考えればわたしはこの「人に迷惑をかけるな」という無言または有言の圧力が苦しかった。
苦しかったという自覚がなかった頃は、うまく人にお願い出来たり助けられている人を見るとこう感じた。

ずるい
(今もずるいって感覚はある)
元より人に頼るのが苦手な性格で可愛げがなく、子供の頃から肩肘はって生きていた私は、上手に人に頼み事ができる人に、とてつもなく理不尽な嫌悪感を抱いていた。
本当はこう叫びたかったんだ。

わたしのことも助けて!
でもそれに気づいたのもいい大人になってからだし、その方法がわからなかった。
打ち砕かれた醜い幻想
自分だけで生きなきゃならないと強がっていたわたしは、精神科に通い手帳を取得した時点で一度打ち砕かれた。
あれだけ嫌悪感を抱いていた「人に手助けしてもらう存在」です!という証明が、わたしにとっては障害者手帳だった。
そんな情けない人間ではない。わたしは当時そう思っていた。とんだ差別主義者のわたしは

障害者は可哀想だけど、わたしには関係ない存在
だと本当にそう考えていた。
その醜い幻想が打ち砕かれて、ペシャンコになった。
当事者研究に出会った30代

「依存先を増やそう」
これは当事者研究第一人者である熊谷晋一郎氏の言葉だ。
先に言うと、わたしもこの意見に大いに賛成である。
わたしが精神科に通い始めたのは24歳前後のこと。
その後、30歳頃にアスペルガー症候群(現在の自閉スペクトラム症/広汎性発達障害)と診断された。
41歳になった今は、ADHDを併発していると言われている。
当事者研究を知ったのはそのあとだ。本は何冊か読んだが詳しくないので詳細は割愛する。興味を持ったらおすすめなのはこの本。
(生活人新書) 新書 – 2010/12/8
綾屋 紗月 (著), 熊谷 晋一郎 (著)
amazon: http://amzn.asia/3iGJLc3
当事者研究を調べる流れで、自分を知ることの大切さを知った。自分の強み、弱み、手助けが必要なこと。どう手助けをお願いするか。自分の説明書の作成。
ここだ。
「自分を知り、手助けが必要なことを知り、どう手助けを求めるか」。
ここがとても大事なところだとわたしは今考えている。
誰がなんと言おうが、人に手助けを頼んでも良い
twitterを始めネットでは過激な意見が多く目を引く。
それは過激性が高いからでもあるし、自分にとっても痛いものだから目を引くのだと思う。
でも逆に「人に適切に頼ろう」という意見もたくさん目にするようになった。
それがとても心強い。
人は一人では生きていけない。
完全に自分の力だけで生きるには、もちろんみんなの税金で整えられたインフラの中で生きることすら人に頼ることになる訳だから、どこか山でも買って完全自給自足生活するしかないような気もする。(極端)
頼り方と頼る相手と頼る度合いが肝
もちろん頼ってもいい(依存していい)とわたしは思うが、肝なのはその方法だ。
熊谷晋一郎氏も

依存先を増やそう
と増やすことを勧めている。
「人」という字は、一人が一人を支えて……なんて説があるが、
一人がまるごと一人を支えたら二人共倒れになるだけだ。
色んなところに少しずつ荷物を分け合ってもらう。
それも相手にとって専門だったり得意だったりなるべく負担が少ないものをコーディネートする必要がある。
福祉/専門家に頼る
依存先の選択肢のひとつが福祉だ。
人間愛嬌がなければ生きていけない時代は、そろそろ終わりを告げてほしいと個人的に思っている。だが最低限の礼儀はもちろん必要!
可愛げがなければ個人的に頼れる先は大幅に減る。それで生きていけなくなるのは本当にしんどい。
話が逸れたが、福祉はうまく使えば大きな支えになってくれる。
- お金が無くて生活ができなければ生活保護
- 障害者を負ったら障害者手帳や年金
- 障害者や高齢者に介護ヘルパー
- 子育てに保育園や子育てセンター、ファミサポ
- 障害者の就労にナカポツ
- 障害者の福祉関連の相談に相談支援事業所
- 医師やカウンセラー
- しんどすぎて消えたい時は電話相談
わたしが障害者で子育て世代なもので挙げた例が偏っているが、もっとたくさん頼れる先はある。
こういった制度は利用して、身近な人だけに負担が行くことを避けることが、人間関係を円滑にしていって生きやすくなる。いい循環だ。
福祉は人間性によって受ける受けられないが決められる訳では無い。しかも専門家なので、頼り方もある程度はっきりしている。もし範囲外ならそう言って貰えるしね。
世知辛いのは、やはり人間相手なので、相性があることと、ここでも愛嬌ある人には負けるってこと。愛嬌無しな自分、つらい。
福祉以外の頼り方
これはわたしも模索中。感情整理にはtwitterにかなりお世話になっている。あとカウンセリング。
身近な人に寄りかかりすぎると、相手に負担になるだけでなく最終的に関係性が壊れるので、なるべくなら福祉的専門的な関わりを沢山見つけて自らの荷物を減らすことを考えたほうが吉。経験者は語る。

依存先コーディネーターがほしいよね!!!
福祉制度のコーディネーターは相談支援事業所だけど、こういった生活全般の困り事含めたコーディネーターがいたらいいなぁと、心から思う。
支え合うには
支えてくれた人を支えるのももちろん支え合いだと思うが、直接その人を支え返さなくても、例えば自分の得意分野で違う人を手助けすることもひとつの「支え合い」だ。
補助金で運営されている相談支援事業所にお礼は言いこそすれ「何かお返ししますよ!」ってなんか違うし、対価は別から貰っているので。
自分の出来ること……しかも多分

これって普通にやっているだけのことだけど、そんなんでいいの!?
ってことが、人の支えになるんだと思う。
循環しあって社会は成り立っている。

手助けを借りながらでも、あなたもわたしも楽しく生きていていいんだ。
熊谷晋一郎氏の記事紹介
soarに熊谷晋一郎氏の記事がある。詳しくはリンク先をお読みいただきたい。
soar-絶望だって、分かち合えば希望に変わる。
熊谷晋一郎さんが語る「わたしとあなた」の回復の物語
https://soar-world.com/2018/01/30/conference2017_watashi/
都会の真ん中でトイレ介助を見ず知らずの人に頼む。それは五分五分の確率で受け入れられるそうだ。
熊谷晋一郎氏のすごい所は、

半数に断られた
と嘆くのではなく、

半数に受け入れられた
と希望を持つことだ。
わたしは恐らく断られた方に引きずられて落ち込む。
しかしたしかに半数には受け入れられているのだ。
その事実に希望を抱ける精神の健やかさとしなやかさを身につけたいと切に願っている。
取り留めもないところで、今日は終了!
お読みいただきありがとうございました。
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