診断名をアイデンティティとするのは、長期的に……という話

自分のこと
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こんにちは。うたりです。

このブログを始める前のブログ記事を見返していたら、障害受容についての記事が出てきました。

復帰させようと思ったのですが、プラグインの重複か何かで、目次が2つになってしまうのでやめておきます。

今日は、その記事とは少し違った視点でお話しようと思います。

診断名を求めるひとたち(自分含む)

わたしは、これまで様々な診断名をつけられています。
なぜかというと、引っ越しのためも含めると、転院を多くしているから。

ちなみに、これまでの診断名は……

こんな感じ。
俺の妻はときどきぬしさまになる。|まの@まんが家すぐやる課|note(ノート) https://note.mu/manomonao/m/mfd83a7a67b1dより
(漫画名義は「うたり」ではなく「まの」でやっています)

これにプラスして、このあと

  • アスペルガー症候群(ASD、自閉スペクトラム症)
  • ADHD

が追加され、双極性障害は返上されました。

わたしは

うたり
うたり

診断名を知りたい!

と思う方だったのですが、どうもわたしだけではなく多くの方が

診断名をはっきり知りたい!

と思うみたいですね。

カテゴライズされることで傾向や対策が分かり、同じ診断名の人たちで繋がりやすくなるからでしょうか。
(もちろん、診断名を告げられてショックを受ける方もたくさんいらっしゃると思います)

  • 傾向や対策を知る。
  • 同じ診断名の人たち同士、繋がる。

とても良いことだと思います。

しかし、わたしはここに、少々危険性を感じるのです。

診断名を演じてしまっていませんか

「●●障害」「〇〇症」という診断名を戴いて、その後、その診断名についていろいろ調べたりしますよね。

うたり
うたり

あ、これわたしに当てはまる!

と思うことがたくさん見つかると思います。

しかし、逆に本やネットに書かれている特徴・症状で、自分にあまり当てはまらないものも出てくるはずです。

そこで、以前のわたしは、

うたり
うたり

わたしは●●障害だから、こういう言動や症状のはずだ!

と無意識に、または意識的に取ってしまうことがありました。

診断名に合わせるために自ら演じる。
本末転倒もいいところですね。(反省)

診断名が間違っていたらどうしよう……という不安

何故か感じる、

うたり
うたり

●●障害と言われたけれど、本当は違っていたらどうしよう……

という不安。

もし診断が間違っていたら。

  • 同じ診断名でつながった人たちとのつながりが無くなってしまう。
  • 今まで得た知識、とってきた対策が、意味をなくしてしまう。

自分ありきの考えから、「診断名ありき」の考えに陥ってしまっていたんです。

こういう状態に陥ることを危惧してか、精神科医の中には患者に診断名を伝えることを控える方針をとっている方もいらっしゃいます。

もし診断が間違っていたら。

同じ診断名でつながった人たちと、本当にそれでお別れしなくてはならないのでしょうか。
そうだとしたら、むしろ、診断名でしかつながっていなかった人なのだと思います。

きっと、ちゃんとつながれた人となら、診断名が何であれ、付き合いは続きます。

診断名が変わることもあるんだよ?

上でこれまでわたしが得てきた診断名を列挙しましたが、

うたり
うたり

診断名が変わることもあるんだよ?

です。

診断名は、それぞれの病院や主治医の専門によって、変更されることが多々ある。

これが転院をいくつも繰り返してきたわたしの実感です。

  • 同じ診断名の人とつながりたい。
  • 知識を得て症状を軽くしたい、治したい。

そう思うことは自然なことですし、大切なことかもしれません。

でも、過剰に診断名とアイデンティティを結びつけてしまうことに、わたしは危険性を感じます。

診断名をアイデンティティとすることの危険性とは

診断名に自分を過度に結びつけてしまって、わたしはこれまで振り回されてきました。

  • 診断名に当てはまる自分を演じてしまった。
  • 同じ診断名の人とのつながりを失うことを恐れすぎて、
    診断名が変わることへ強い不安を抱いてしまっていた。
  • 「自分ありき」から、「診断名ありき」の考えで、
    自分を見失ってしまっていた。
  • 診断名が変わるたびに振り回されてきた。

これは、あくまでもわたしが陥ってしまった穴です。

だから全ての人が当てはまるわけではありません。

でも、このような人もいるということ、診断名に過度にこだわりすぎることは危険な可能性があるということ、

うたり
うたり

そんなことを心の片隅にでも置いておくと、安心安全養生ライフが送れるかもしれないよ?

最後におまけ、障害受容のらせん

障害を受容することは、階段を登るようにスムーズに上へ上へと進むものではない。
らせんを登るように、いきつ戻りつ、少しずつ先へと進むもの。

この障害受容のらせん図は、

親の障害の認識と受容に関する考察-受容の段階説と慢性的悲哀http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/ld/z12020/z1202001.html

より知った概念です。
ご興味のある方は、ぜひリンク先もご覧ください。

上記URLの記事は「障害を持つ親が子供の障害を受け入れるときの段階」について書かれたものですが、わたしは個人的に「疾病・障害を持つ本人の受容の段階」にも当てはまるのではないかと思っています。

わたしが診断名に絡め取られてどっぷり浸かっていた時期があったように、もしかしたらあなたにもそのような時間が必要なのかもしれません。

だから、わたしは危険性を感じつつも、

うたり
うたり

どんな段階も、その人に必要な時間なのかもしれない

という考えは変えません。

  • ショックな時期
  • 悲しむ時期
  • がっつり調べる時期
  • 同じ診断名の人達とつながって励まし合う時期
  • 診断名主体から自分主体へシフトしていく時期

どの時期も間違いではないし、どこが偉いとか偉くないとかも、無いかもしれません。

ただ、わたしの個人的な感覚では、

  • 診断名主体から自分主体へシフトしていく時期

にいるときの方が、楽ではあります。
(そしてここにとどまり続けられるかというと、そうでもないんだな。
同じ診断名の人達とつながって励まし合う時も、大事だ)

うたり
うたり

どんな人も、どんな段階の人も、幸せでいられればいいよ!

そんな感じです。

お読みいただきありがとうございました。

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