※前ブログからの再掲載記事です。
札幌はだいぶ暖かくなり、昼間に雪解け水が大きな水たまりや小川を作るようになってきた。もうすぐ春だ。
今日は自分の生き方について考えたので、つらつらと書いてみようと思う。
自分の生き方について考えたきっかけ
なぜ今頃になって自分の生き方について改めて考えたかと言うと、母に「こんなふうに産んで苦労かけてごめんね」と言われたことを思い出したからだ。
わたしは実の家族とあまり上手いこといってない。わたしが北海道在住、実家は飛行機の距離なので、普段はあまりやり取りがない。そのくらいの距離が丁度いいそんな関係だ。
今回はその事がテーマではないので、詳しくは割愛する。
で、先程の言葉だ。
「こんなふうに産んで苦労かけてごめんね」
と言われたのは、少し前のこと。
言われた時、大変モヤモヤした。
「ごめんね」って言われたらしんどい
何故モヤモヤしたか。親に自分の人生をまるっと否定された気がしたからだ。
「こんなふうに」とか「ごめんね」とか、あたかもあなたの人生は失敗でしたね!と決めつけられて、そんな子供を持つ自分って可哀想!という母の自己憐憫の気持ちが透けて見えた(気がした)。
これでも楽しいんですよ
わたしはASD(自閉スペクトラム症)やADHDと診断されたりして、福祉のお世話になって生きている。
(それ以前は過敏性腸症候群やらうつやら人格障害やら躁うつ病やら診断名の遍歴はすごいものがある)
確かに福祉を受けているわたしは行政の予算的な観点から見たらお荷物状態なのかもしれない。
わたしも「楽しいんです」と言えるようになったのは30代入って発達障害が判明し色々あってからだが、とりあえず今時点ではなかなかこの生き方を気に入っている。
過敏性からくる体力のなさや活動制限に悔しくて涙を飲むこともあるけれど、深くてなかなか味わい豊かな人生なのだ。
人に言われることと自分で言うことは違う
この感覚はわたしに限ったことなのかもしれないので、一般化するのは少々危険だと感じる。
だから話半分に読み飛ばしてほしい。
例えば発達障害の子供を持つ子供が悩みに悩む時期に、「こんなふうに産んだのはあんたのせいだ」と親を詰ることがあるかもしれない。助けてっていう悲鳴なんだと思う。
(わたしは親にそこまでストレートにヘルプを求められる関係ではなかったので少し羨ましくもある)
そんな時は親は「ごめんね、辛いよね」としか言えないかもしれない。
わたしも将来息子にそのように言われたら「ごめんね」って言っちゃうかもしれない。
でも、子供からヘルプを求めるためにあげた悲鳴と、親から「こんなふうに産んで苦労かけてごめんね」って言うことは全くの別物だとわたしは考えている。
親が子供の人生を否定すること
一番悲しいのは、子供にとっては一番に認めてほしい親に自分の人生を否定されることかと思う。
「こんなふうに」「ごめんね」って言われて、わたしは悲しかった。謝られて悔しかった。怒りもした。
中年になってからもこんなに怒りを覚えるのだから、多感な時期にこれをやられていたら恐慌をきたしていたかもしれない。
どんなに上手くいっていなかろうが、子供にとって親(保護者)は価値観の大きな部分を占める。親にはやっぱり褒めてもらいたいし認めてもらいたい。
障害があろうがなかろうが、楽しく生きていいんだよ
そう、本当にそうなのだ。わたしは育ち方(後日、別に記事にする予定)により、自分が楽しむことで罪悪感を感じるようになってしまったが、誰だって楽しく生きていいんだよと今は思っている。
慎み深く控えめでいつも感謝を忘れず贅沢もしない……福祉を受けている人はそうあるべきだと思われがちかと思う。
しかし、誰だって全力で自分の人生を楽しんでいいんだ。
楽しまなきゃ負けという訳でもないが、自分の人生に誇りを持つことは、誰にも咎められることは無い、誰にでもある権利だと思う。
味わい深い人生を
罪悪感を抱え生きること、自分の人生に誇りを持てずに生きること。これは本当にキツい。わたしも若い頃は頻繁に陥っていたし、今も時々そう思ってしまうこともある。
確かにわたしは自閉スペクトラム症の特性上、広く精力的に生きることは難しいが、逆に立ち止まりしゃがみこみ、狭い世界を深く楽しむことには長けている。
(わたしはよく井戸の底に住んでいるイメージを持っている。わたしが作詞したものを友達が歌にして歌ってくれた動画があるので良かったらご視聴下さい)
作曲:友民さん/作詞:わたし キミとボクのかえるの歌
いろんな人がいて、いろんな生き方がある。数値では勝ち負けがついたとしても、本質的なところでそれに優劣はないと信じている。
親も楽しんでほしい
蛇足になるが、どうか親御さんも全力で自分の人生を楽しんだり味わったりしてほしい。
わたしはわたしの目の前で親が楽しそうに生きてくれていたらよかったのになと思う。
育ててくれている人が自分とともに楽しく過ごしてくれることは、きっと、子供への最大のプレゼント(人生の土台)になる。
わたしもそれを目指しつつ、試行錯誤中である。
みんな、自分の人生を楽しもう、もしくは味わおう。
※そんな気にならない時は、逃げ出したり休んだりしよう
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